中島みゆきが作詞作曲、歌っているのは吉田拓郎だ。その後中島みゆきのセルフカバーも発表された。中島みゆきと吉田拓郎のファン以外にとってはさして有名な曲ではないと思うが、実はこの曲は長い長いエピソードのある「忘れ得ぬ曲」である。
吉田拓郎は70年代初頭に岡林信康以後のフォークを担うスターとして華々しい脚光を浴びたが、80年代以降トップシーンからフェイドアウトしていった。この曲が書かれた95年当時は、既に懐メロの人という扱いであった。一方の中島みゆきは70年代半ばにデビュー。ユーミンとライバル関係にあると言われたが、やはり80年代に低迷期を迎える。しかし90年代初頭には『家無き子』の主題歌で再び脚光を浴びていた。
吉田拓郎は中島みゆきに「自分はもうあなたの「ファイト」の様な曲は書けない」と言って作詞作曲を委嘱し、そこで中島みゆきが提供したのがこの曲だとも言われている。吉田拓郎が他人に作詞作曲をともに委嘱した最初の作品であるが、それ以上に噂になったのは、そもそも吉田拓郎と中島みゆきはかつて色々と噂のあった仲であり、歌詞が強烈にそうした事情を想像させることである。
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かつて女から好かれ、憧れられていた男が衰え、自信を失ってその女に愚痴を語る。その女ならば自分を裏切らず、優しく慰めて励ましてくれると確信して近づく男を前にした女。この歌詞はどこをどう切ってみてもそういった状況に置かれた女の言葉に読める。というか、そうとしか読めない。
いかにも艶っぽい話だが、こういう関係というのは、男の甘えと女の深情けに寄りかかったもので、極めて危ういものである。大抵のありきたりな男と女にこんなことがあれば、男は女にあっさりと袖にされておしまいだ。自信を失い、しかも女の深情けを当て込んで甘えてくる男なんていうのは、女から見れば余程醜いものである。
だから、こんな言葉が出てくる場面というのは、そんな醜さを補って余りある魅力的な男と、情の深い女の間にしかあり得ない。男は大抵浅薄で子どもっぽいロマンチストなもので、自分こそがその魅力的な男だと勘違いしてすべてを台無しにしてしまいがちだが、深情けの女というのも困りもので、男に引きずられて自分が幸せになれぬばかりか、男の独り立ちを阻んでしまうこともある。
そうと知りながらもついついそういう出口の見えない関係に憧れてみたり、またあるいはのめり込んでしまったりするのがひとの因果なところであるが、分かっていながら自分では止められない人生の「酸い甘い」をこの曲は想わせる。
今年のニューヨークは暖かで粉雪まじりどころか年が明けても小雨が降りしきる様な天気である。小雨じゃいくらなんでも絵にならない。格好良いのは歌詞の中だけのこと。付き合う前には格好良く見えた男が実際には言っていることとやっていることが違いすぎて幻滅するなんてことも良くある話。ま、現実はそんなもんです。僕も含めて、ですね。(苦笑)


