人生には取り返しのつかない、決定的な瞬間がある。この英gはそうした決定的瞬間の一つを、イラン社会の習俗を絡めつつ描いた傑作である。近代法と宗教、伝統的な血縁集団と離婚が交錯するところに物語は生まれる。それは酷く哀しく、誰も勝者とならない物語だ。
別居中の夫婦と娘。介護の必要な父。お手伝いに雇われた妊娠中の妻と、失業中の夫。その幼い娘。その七名の思いと利益が交錯する中で、主人公夫婦の別離は決定的になる。
決定的な瞬間は、離婚を申請した時でも、妊婦が階段を落ちた時でも、物語のすべてが明らかになる時でもない。二人の気持ちが一番近づいた時に、ボタンを掛け違えたその瞬間だ。別居中の妻は荷物を持ち、やってくる。何故そこで和解に至れなかったのか。ほんのささいな綾が、人生を狂わせていく。
この時、二人はこの瞬間が決定的であるとは思わなかったろう。いつも、決定的瞬間に気づいた時は遅すぎるのだ。大変に良い作品ですが、見るのが辛かった。辛すぎた。
2012年05月22日
2012年05月20日
イオセリアーニ監督『汽車はふたたび故郷へ』@京都シネマ 2012.5.18(金)
独創性で知られるイオセリアーニ監督の半自伝的作品。共産党政権の検閲などのリアリズムと人魚などの暗喩的なモチーフが奇妙に混淆する作品である。
旧ソ連統治下のグルジアでの検閲に嫌気が差した主人公はフランスへの亡命を企てる。しかしフランスでは出資者の意向が立ちふさがり、やはり思うような仕事は出来ない。試写会での酷評を受けて、帰国を決意する主人公。帰国後のピクニックで、主人公は池に沈んでいく。
印象的な部分でのワンシーンワンカットなど、カメラワークの随所に監督の完璧主義が見え隠れする作品である。どこにでも登場するバンドネオンを演奏する少女は、さながら『永遠と一日』の黄色いレインコートのように、リアルとイマージュを取り持つ蝶番となる。
共産主義だろうが資本主義だろうが、己を貫き通す生き難さは必ずある。ただ、そういった政治的な主張は背景に引いて、むしろそうした状況での処世のコミカルさが、ひとつまみの悲哀と共に描かれる。部屋でものものしく鳴るグルジア民謡は、大使を迎える時には仰々しい芝居じみた演出であり、滑稽だが、作品の失敗を受けて帰国するときは切なくノスタルジックに響く。
映画を制作することについての映画なので、映画の中の映画が、主人公の心象風景となり、そのイマージュが映画の中の映画を徐々に飛び出して、リアルの側を浸食していく様子が楽しめるかどうかで、この映画への評価は大きく変わるように思います。ラストは、主人公がこの世界のどこにも居場所を見つけられないという失意へと沈んでいったという隠喩と考えるべきだと思います。
旧ソ連統治下のグルジアでの検閲に嫌気が差した主人公はフランスへの亡命を企てる。しかしフランスでは出資者の意向が立ちふさがり、やはり思うような仕事は出来ない。試写会での酷評を受けて、帰国を決意する主人公。帰国後のピクニックで、主人公は池に沈んでいく。
印象的な部分でのワンシーンワンカットなど、カメラワークの随所に監督の完璧主義が見え隠れする作品である。どこにでも登場するバンドネオンを演奏する少女は、さながら『永遠と一日』の黄色いレインコートのように、リアルとイマージュを取り持つ蝶番となる。
共産主義だろうが資本主義だろうが、己を貫き通す生き難さは必ずある。ただ、そういった政治的な主張は背景に引いて、むしろそうした状況での処世のコミカルさが、ひとつまみの悲哀と共に描かれる。部屋でものものしく鳴るグルジア民謡は、大使を迎える時には仰々しい芝居じみた演出であり、滑稽だが、作品の失敗を受けて帰国するときは切なくノスタルジックに響く。
映画を制作することについての映画なので、映画の中の映画が、主人公の心象風景となり、そのイマージュが映画の中の映画を徐々に飛び出して、リアルの側を浸食していく様子が楽しめるかどうかで、この映画への評価は大きく変わるように思います。ラストは、主人公がこの世界のどこにも居場所を見つけられないという失意へと沈んでいったという隠喩と考えるべきだと思います。
カウリスマキ監督『ル・アブールの靴みがき』@京都シネマ 2012.5.13(日)
原題に忠実に、作品名は『ル・アブール』としておきたい。その外連味のない素っ気なさが好きだ。
カウリスマキには『浮き雲』で出会って以来、私の映画についての考え方に影響を与えてきた監督だ。アフリカからの不法移民の少年と老夫婦の邂逅を通して、様々な家族の絆を描いた本作には、変わらぬ故郷に帰ってきたような懐かしさがある。
この作品にある二つのドラマ。少年の運命と妻の病気は、少し拍子抜けするくらいにハッピーエンドを迎える。若い感受性は、あるいは私が十八の頃に『浮き雲』を見た時のように、これを拒絶するかもしれない。しかし今の私にはこれ位の強引さがいい。これ位強引に運命に抗ってほしい。
印象的なカメラワークと演出は健在だ。真正面から捉えられた人間の顔。その人生の刻まれた表情。交錯する視線。人生のある瞬間、心に灯るぬくもり。スポットライト。リアリズムの中に心象風景が大胆に重ね合わされる、シンプルな感動。ラストの桜もいい。
決して名作傑作の類とはいえない。そういうにはストーリーの一貫性が物足りない。しかしこうした佳作が救う魂もあるはずだ。
カウリスマキには『浮き雲』で出会って以来、私の映画についての考え方に影響を与えてきた監督だ。アフリカからの不法移民の少年と老夫婦の邂逅を通して、様々な家族の絆を描いた本作には、変わらぬ故郷に帰ってきたような懐かしさがある。
この作品にある二つのドラマ。少年の運命と妻の病気は、少し拍子抜けするくらいにハッピーエンドを迎える。若い感受性は、あるいは私が十八の頃に『浮き雲』を見た時のように、これを拒絶するかもしれない。しかし今の私にはこれ位の強引さがいい。これ位強引に運命に抗ってほしい。
印象的なカメラワークと演出は健在だ。真正面から捉えられた人間の顔。その人生の刻まれた表情。交錯する視線。人生のある瞬間、心に灯るぬくもり。スポットライト。リアリズムの中に心象風景が大胆に重ね合わされる、シンプルな感動。ラストの桜もいい。
決して名作傑作の類とはいえない。そういうにはストーリーの一貫性が物足りない。しかしこうした佳作が救う魂もあるはずだ。
Charmy(中川さつきTrio)@ Candy 2012.5.17.(木)
Charmy
中川さつき(Vo)
井高寛朗(P)
光岡尚紀(B)
Candyはいつも私を変わらずに迎えてくれるバーだ。カウンターの片隅の居心地がいい。Candyのロゴのネオンがいい。Man Rayのポスターがいい。そして、いる人が素敵だ。
中川さんのヴォーカルは以前にも拝聴したことがある。雰囲気のある発声が魅力的だ。明るさの裏に優しさと寂しさのある声だ。リリカルなスタンダードがいい。
ピアノの井高さんは誠実さの漂う人だ。練習と研鑽による嘘のないフォームと音の粒。早いパッセージを弾いた時の姿に、凛とした所があって、好きだ。
ベースは光岡さん。優しげな人ではあるが、ある種の豪放さを秘めた演奏をする人だ。Jazzに情熱のある人だ。巧い演奏は人を感心させるが、情熱的な演奏は人を感動させる。この日のベースが彼で、私は嬉しかった。
演奏に良い曲は多かったが、私の心にはsummer time, over the rainbowとeverything must changeが残った。それは全く個人的な事情からだが、それでもいつかあの虹を超えていけると信じたくなる、心に寄り添う演奏だったことは疑いない。また聞きたくなるトリオでした。
中川さつき(Vo)
井高寛朗(P)
光岡尚紀(B)
Candyはいつも私を変わらずに迎えてくれるバーだ。カウンターの片隅の居心地がいい。Candyのロゴのネオンがいい。Man Rayのポスターがいい。そして、いる人が素敵だ。
中川さんのヴォーカルは以前にも拝聴したことがある。雰囲気のある発声が魅力的だ。明るさの裏に優しさと寂しさのある声だ。リリカルなスタンダードがいい。
ピアノの井高さんは誠実さの漂う人だ。練習と研鑽による嘘のないフォームと音の粒。早いパッセージを弾いた時の姿に、凛とした所があって、好きだ。
ベースは光岡さん。優しげな人ではあるが、ある種の豪放さを秘めた演奏をする人だ。Jazzに情熱のある人だ。巧い演奏は人を感心させるが、情熱的な演奏は人を感動させる。この日のベースが彼で、私は嬉しかった。
演奏に良い曲は多かったが、私の心にはsummer time, over the rainbowとeverything must changeが残った。それは全く個人的な事情からだが、それでもいつかあの虹を超えていけると信じたくなる、心に寄り添う演奏だったことは疑いない。また聞きたくなるトリオでした。
2012年05月16日
最近の京都のこと
何かを始めることはさして難しくないが、終えるのは難しい。大抵終えるのではなくて、中断が永遠に続いてしまうだけだ。
これでも毎日日記はつけている。4月から新しくした日記帳には几帳面に毎日のことが書かれている。ただ、どうもネットに書く気分になれなかっただけだ。
先週、kokon烏丸でカウリスマキの映画を見た。ル・アブール。ノルマンディなんて寒そうだから行きたくない。でも、見ていたらどこか遠くへ行きたくなった。お薦めするような映画ではないが、見て大損というほどでもない。
明日は、久しぶりにcandyというJazz Barに行きたい、と思っている。どうにかして、行きたい。別に飲みたい訳じゃないから、簡単な飲み物だけで、あの空間で、音楽に揺られていたい。
そして、出来ればここに何か書きたいと思っています。
そういえば、今日は延期されていた葵祭でした。
これでも毎日日記はつけている。4月から新しくした日記帳には几帳面に毎日のことが書かれている。ただ、どうもネットに書く気分になれなかっただけだ。
先週、kokon烏丸でカウリスマキの映画を見た。ル・アブール。ノルマンディなんて寒そうだから行きたくない。でも、見ていたらどこか遠くへ行きたくなった。お薦めするような映画ではないが、見て大損というほどでもない。
明日は、久しぶりにcandyというJazz Barに行きたい、と思っている。どうにかして、行きたい。別に飲みたい訳じゃないから、簡単な飲み物だけで、あの空間で、音楽に揺られていたい。
そして、出来ればここに何か書きたいと思っています。
そういえば、今日は延期されていた葵祭でした。
2011年01月27日
関西から戻ってから
関西から戻ってからはとても忙しい。毎日の様に飛び回っているような気がする。
が、少し遊んだりもした。
休日に何故か母と妹を連れて大黒ふ頭に行った。首都高怖いです。
学部時代の恩師に会った。すげぇ元気そうだった。楽しそう。60代になってあんなに楽しそうなのは凄いことだと思う。随分優しく励ましてもらった。
大学で偶然後輩と出会ってご飯を食べた。変わった後輩だが大変に絵がうまい。というか、凄い。下高井戸シネマに近く一緒に行こうと約束した。
その後輩から、他の後輩が大学をしばらく前に止めて転職した話を聞いた。冠婚葬祭系らしい。僕はその人の研究が(個人的趣味に適っていることもあって)好きだったから少し残念だが、人生の選択としては極めて正しいと思う。
サッカーのアジア杯が連日あって忙しいのに眠れない。日本はザックの様な戦術マニアの監督があっているのかも。選手がプレーやゲーム全体をイメージしやすい様に見える。しかし、玉田と矢野の代わりに香川と前田でワールドカップ戦っていたら…と思うのは私だけですか?
選手についてはそれぞれ言いたいことがあるが、面倒だからいちいち書かないけど、本田については一言だけ。彼は改善すべき点がまだまだ多くある選手だ。それだけ荒削りだというか、跳ねっ返りだということだが、その分ポテンシャルがあるということだと信じたい。
この手のサッカー話はここのところいつも詳細なレビューを書く友人がいるので、その人に任せることにしたい。
が、少し遊んだりもした。
休日に何故か母と妹を連れて大黒ふ頭に行った。首都高怖いです。
学部時代の恩師に会った。すげぇ元気そうだった。楽しそう。60代になってあんなに楽しそうなのは凄いことだと思う。随分優しく励ましてもらった。
大学で偶然後輩と出会ってご飯を食べた。変わった後輩だが大変に絵がうまい。というか、凄い。下高井戸シネマに近く一緒に行こうと約束した。
その後輩から、他の後輩が大学をしばらく前に止めて転職した話を聞いた。冠婚葬祭系らしい。僕はその人の研究が(個人的趣味に適っていることもあって)好きだったから少し残念だが、人生の選択としては極めて正しいと思う。
サッカーのアジア杯が連日あって忙しいのに眠れない。日本はザックの様な戦術マニアの監督があっているのかも。選手がプレーやゲーム全体をイメージしやすい様に見える。しかし、玉田と矢野の代わりに香川と前田でワールドカップ戦っていたら…と思うのは私だけですか?
選手についてはそれぞれ言いたいことがあるが、面倒だからいちいち書かないけど、本田については一言だけ。彼は改善すべき点がまだまだ多くある選手だ。それだけ荒削りだというか、跳ねっ返りだということだが、その分ポテンシャルがあるということだと信じたい。
この手のサッカー話はここのところいつも詳細なレビューを書く友人がいるので、その人に任せることにしたい。
2011年01月19日
1月前半の日記
正月。横浜にて家族で正月を過ごすのは人生初であった。別に初詣とかはしません。
3日。4人で中華街に行ってみる。美味しい食べ放題の店で暴れすぎて晩ご飯食べれないくらい食べました。
三連休。祖母の納骨があるということで急遽岐阜に帰省する。道中が混んでいなくて良かった。周りはスピード出し過ぎて結構速度違反で捕まっていた。くわばら。
14-17日は大学関係の用事で関西へ。友人たちとご飯食べる。友人の一人が一緒の宿に泊まることになり、随分楽しく過ごす。日曜日は親父と奈良へ。奈良は凄かった。また行きたい。ぷりみてぃぶ(敢えてひらがな)な感じがいい。
月曜日は三十三間堂や清水寺に行く。三十三間堂では友人に勧められて朱印帳を購入する。これからは全国で朱印を集めようと思う。ある意味友人に弟子入りした格好だが、昨年には祖母も亡くなったし、私事の心の慰めに良い。
3日。4人で中華街に行ってみる。美味しい食べ放題の店で暴れすぎて晩ご飯食べれないくらい食べました。
三連休。祖母の納骨があるということで急遽岐阜に帰省する。道中が混んでいなくて良かった。周りはスピード出し過ぎて結構速度違反で捕まっていた。くわばら。
14-17日は大学関係の用事で関西へ。友人たちとご飯食べる。友人の一人が一緒の宿に泊まることになり、随分楽しく過ごす。日曜日は親父と奈良へ。奈良は凄かった。また行きたい。ぷりみてぃぶ(敢えてひらがな)な感じがいい。
月曜日は三十三間堂や清水寺に行く。三十三間堂では友人に勧められて朱印帳を購入する。これからは全国で朱印を集めようと思う。ある意味友人に弟子入りした格好だが、昨年には祖母も亡くなったし、私事の心の慰めに良い。
2010年12月17日
山本薩夫監督『金環蝕』
いつ書いたか分からない位昔の(多分二年前くらい)のメモがPCから見つかったのでアップしときます。少し補加筆は加えましたが。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
最近個人的には社会派監督の作品がブームだ。こういう映画を見ていると、日本の映画文化の厚みを思い知る。まだまだ僕の見たこともない、それどころか知りもしない名作がきっと沢山日本にはあるのだろうと思う。実は僕はこの『金環蝕』という映画を見る時まで殆どその名前しか知らなかったのである。
『金環蝕』の始まりは鮮烈だ。外は黄金でも内側は真っ黒だという金環蝕の描写は、そのまま日本の政界に結びつく。しかも「黄金」という言葉は、きらびやかさと「お金」の二つを同時に私たちに想起させるのである。この権謀術数蠢く二時間半を予言する言葉は、この映画を貫くテーマであると同時に、日本の政治の実際を貫く論理でもある。
この映画の原作は、そもそも実際の事件をベースにしているので、しかもその事件から十年と経たずに映画化されているので、当時は相当インパクトを持ったに違いない。しかし、現在の私たちのような、実際の事件それ自体を知らない人でも、この映画には何らかの既視感を抱くのではないか。それだけこの映画は私たちの社会で長く繰り返された政治の構図を暗喩しているのである。
この映画は、戦後日本の政治陰謀物の中では出色の出来、まさに嚆矢といえる作品である。
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最近個人的には社会派監督の作品がブームだ。こういう映画を見ていると、日本の映画文化の厚みを思い知る。まだまだ僕の見たこともない、それどころか知りもしない名作がきっと沢山日本にはあるのだろうと思う。実は僕はこの『金環蝕』という映画を見る時まで殆どその名前しか知らなかったのである。
『金環蝕』の始まりは鮮烈だ。外は黄金でも内側は真っ黒だという金環蝕の描写は、そのまま日本の政界に結びつく。しかも「黄金」という言葉は、きらびやかさと「お金」の二つを同時に私たちに想起させるのである。この権謀術数蠢く二時間半を予言する言葉は、この映画を貫くテーマであると同時に、日本の政治の実際を貫く論理でもある。
この映画の原作は、そもそも実際の事件をベースにしているので、しかもその事件から十年と経たずに映画化されているので、当時は相当インパクトを持ったに違いない。しかし、現在の私たちのような、実際の事件それ自体を知らない人でも、この映画には何らかの既視感を抱くのではないか。それだけこの映画は私たちの社会で長く繰り返された政治の構図を暗喩しているのである。
この映画は、戦後日本の政治陰謀物の中では出色の出来、まさに嚆矢といえる作品である。
まわりは金色の栄光に輝いて見えるが、中の方は真黒に腐っている。
根岸吉太郎監督『遠雷』
この映画は大変に良い映画である。
脚本の整合性、メッセージの力強さ共に申し分ない。少しだけ長く感じる人もいるかもしれないが、無駄なカットな訳ではないので冗長である印象はない。
父に逃げられ、兄が東京に出ていった後、猫の額くらいの残された土地にビニールハウスを作り、トマトを栽培する農家の次男が主人公であるこの物語は、近郊都市として団地化されていく風景・社会層と農地・農家が入り交じった場所で起こる。団地の暇を持てあました主婦は農家の若い男である次男と関係を結ぶ。若い次男はその女を共有している友人以外男のいない環境で生活している。家には母と祖母。お見合いで知り合った婚約者、団地の女。父は一時的に家に戻るが再び家を出てしまい、ゲイ・バーに勤めるママに成りはてて次男に金をせがむ。東京の兄は映画のラスト30分になって、結婚式に出席するために戻ってくるだけで、父の金が残っていないと知るとさっさと東京に帰ってしまうのである。映画のラストで、次男は結婚し、父になろうとしている。地上げ屋が来ても追い払い、自分で自分の拠って立つ場所を作ろうと奮闘するのである。
この映画の素晴らしい点は、当時の日本社会の不気味さが鬼気迫って伝わってくる所にある。団地という新しい社会形態と農家が激しくぶつかる場面で、男女の交渉があり、団地の女と農家の男が駆け落ちした挙げ句に、団地の女は殺されてしまう。次男の結婚式は伝統的な古くさいスタイルだが、花嫁は今時のウェディング・ドレスを着ている。土地に執着する次男はビニールハウスでトマトを作り、それを団地に売り歩き、その金でデパートの服を婚約者に買うのである。この繰り返されるイメージの越境と不気味なリアリティがこの映画の素晴らしさであろう。その当時に生きていた人々はもしかすると生きるのに必死でそんなことを感じることも無かったのかもしれないが、こうして映画に映し出された当時の社会は、圧倒的に不気味であり、窒息しそうな位の閉塞が漂っているのである。
70年代末から80年代初頭にかけては、映画の斜陽が過ぎ、TVとの力関係がはっきりした後の時代といえる。その中で、「家族ゲーム」や「蒲田行進曲」「道頓堀川」などと並んで、こうした映画が作られていたことは高く評価されて良いと思う。
脚本の整合性、メッセージの力強さ共に申し分ない。少しだけ長く感じる人もいるかもしれないが、無駄なカットな訳ではないので冗長である印象はない。
父に逃げられ、兄が東京に出ていった後、猫の額くらいの残された土地にビニールハウスを作り、トマトを栽培する農家の次男が主人公であるこの物語は、近郊都市として団地化されていく風景・社会層と農地・農家が入り交じった場所で起こる。団地の暇を持てあました主婦は農家の若い男である次男と関係を結ぶ。若い次男はその女を共有している友人以外男のいない環境で生活している。家には母と祖母。お見合いで知り合った婚約者、団地の女。父は一時的に家に戻るが再び家を出てしまい、ゲイ・バーに勤めるママに成りはてて次男に金をせがむ。東京の兄は映画のラスト30分になって、結婚式に出席するために戻ってくるだけで、父の金が残っていないと知るとさっさと東京に帰ってしまうのである。映画のラストで、次男は結婚し、父になろうとしている。地上げ屋が来ても追い払い、自分で自分の拠って立つ場所を作ろうと奮闘するのである。
この映画の素晴らしい点は、当時の日本社会の不気味さが鬼気迫って伝わってくる所にある。団地という新しい社会形態と農家が激しくぶつかる場面で、男女の交渉があり、団地の女と農家の男が駆け落ちした挙げ句に、団地の女は殺されてしまう。次男の結婚式は伝統的な古くさいスタイルだが、花嫁は今時のウェディング・ドレスを着ている。土地に執着する次男はビニールハウスでトマトを作り、それを団地に売り歩き、その金でデパートの服を婚約者に買うのである。この繰り返されるイメージの越境と不気味なリアリティがこの映画の素晴らしさであろう。その当時に生きていた人々はもしかすると生きるのに必死でそんなことを感じることも無かったのかもしれないが、こうして映画に映し出された当時の社会は、圧倒的に不気味であり、窒息しそうな位の閉塞が漂っているのである。
70年代末から80年代初頭にかけては、映画の斜陽が過ぎ、TVとの力関係がはっきりした後の時代といえる。その中で、「家族ゲーム」や「蒲田行進曲」「道頓堀川」などと並んで、こうした映画が作られていたことは高く評価されて良いと思う。
2010年12月15日
斉藤耕一監督『小さなスナック』
斉藤の監督作品を見るのは久し振りである。そもそも東京国際映画祭で『津軽じょんがら節』を見たのが初めてで、吉田拓郎の曲をモチーフにした『旅の重さ』をDVDで見た。どちらの作品も斉藤のらしさというか、持ち味が良く出ていると同時に、映画手法的にも、主題的にも時代を感じさせるものでもあった。
斉藤の持ち味は、静止画で見せるのが上手な監督であるという点にあると思う。元々がスチールカメラ出身とあって、ここぞという場面での構図、影の使い方、鮮やかな小物の色彩感覚などは大変に素晴らしい。また、ここぞといった場面で俳優の表情を引き出すことにも長けている。この映画でいうならば、長いジュディ・オングの独白や、ラスト付近で主人公が電話を掛けるシーンでの緊迫などは、映画手法云々の小手先論を超えて真実胸に迫るものがある。
ところが、やはり青春を表現するのにやや大袈裟に過ぎるのが少し現在の視点からするとイタイ感じになってしまうのが残念だ。海岸でカップルが泥まみれになって抱き合うシーン、海岸沿いから市内まで車を飛ばすシーンなどは、青春の不安定な無鉄砲さを心象風景として表現しようとしているのは分かるが、あまりに非現実的でのめり込めない。また同時に、そうして不安定で無鉄砲なものとして表象される青春も、今からみるとあまりに一面的な青春像で(それが当時は新鮮だったのかもしれないが)人間の深さに欠ける印象が残ってしまう。
映画は84分で起承転結もはっきりしているのだが、見ている時にはどうやってストーリーを引き延ばすのかハラハラした。結局はヒロインが小さなスナックに登場することで始まった物語が、ヒロインがその小さなスナックに来れなくなることで終わるという、非常に綺麗なフォルムのストーリー構成だが、もう少しねじを回しても良かったのかなぁ…という印象も残る。
ま、この雰囲気を楽しめる人が斉藤監督のファンということなのでしょう。そして映画史上、日本でこうしたアプローチで映画を撮ったことは、一つの通過点として重要であったと言えると思います。
斉藤の持ち味は、静止画で見せるのが上手な監督であるという点にあると思う。元々がスチールカメラ出身とあって、ここぞという場面での構図、影の使い方、鮮やかな小物の色彩感覚などは大変に素晴らしい。また、ここぞといった場面で俳優の表情を引き出すことにも長けている。この映画でいうならば、長いジュディ・オングの独白や、ラスト付近で主人公が電話を掛けるシーンでの緊迫などは、映画手法云々の小手先論を超えて真実胸に迫るものがある。
ところが、やはり青春を表現するのにやや大袈裟に過ぎるのが少し現在の視点からするとイタイ感じになってしまうのが残念だ。海岸でカップルが泥まみれになって抱き合うシーン、海岸沿いから市内まで車を飛ばすシーンなどは、青春の不安定な無鉄砲さを心象風景として表現しようとしているのは分かるが、あまりに非現実的でのめり込めない。また同時に、そうして不安定で無鉄砲なものとして表象される青春も、今からみるとあまりに一面的な青春像で(それが当時は新鮮だったのかもしれないが)人間の深さに欠ける印象が残ってしまう。
映画は84分で起承転結もはっきりしているのだが、見ている時にはどうやってストーリーを引き延ばすのかハラハラした。結局はヒロインが小さなスナックに登場することで始まった物語が、ヒロインがその小さなスナックに来れなくなることで終わるという、非常に綺麗なフォルムのストーリー構成だが、もう少しねじを回しても良かったのかなぁ…という印象も残る。
ま、この雰囲気を楽しめる人が斉藤監督のファンということなのでしょう。そして映画史上、日本でこうしたアプローチで映画を撮ったことは、一つの通過点として重要であったと言えると思います。

